今日はよくないこと


なぎこさんのブログで考えさせられる記事が出ました。


折角なので、それにコメントしたいと思いまっす


途中から議論が暴走してたり、自分の愚痴なところも濃いんで、ネガティヴに触れたくない人は開けないでね♪




SRCでもなんでもそうなんですけど、
物を作ることって評価してくれる人ありきな面がありますよね
作品を出しておきながら、「レビュー禁止」なんて言う人もいないですし
冗談で作ったものだとしても、反響があればうれしいものです
「自分は自己満足で作ってるんだ」という人だって、反応があれば当然嬉しくなってしまうもの
そういうところから目をそらしたらいけないと思うんだ
だから、作る側には受け手に対しての配慮というものを考えるということは必要だと思うんだよね




昔、「絵や文が上手くなるコツを教えて欲しい」と言われたことがあったんだよね
まぁ、今の絵を見ればわかると思うけど、人に教えられるレベルでもないんだけど……
でも、聞いてきた人から見れば、上の方だったみたいだよ、うん


その時、「自分で見て、おかしいと思ったところを直すといいよ」と答えた覚えがある
文章もなんでも、自分がおかしいと思ったことが相手にすんなり伝わるわけがない
作り手の結晶が作品なのだから、自分にブレがあってはその作品は歪な物にしかならないと思うんだ
だからせめて自分の目ででも、その作品を客観的に見ておかしいと思う力は必要なんだろうと思ってた


そんなこと思っていた時期、話す相手が悪かったのかな……
改行の下手な人に、誤字脱字のオンパレードな人、独りよがりなのなんてしょっちゅう……
挙句、自分のものに出来てもないのに、パクりをしようとする奴とかとしか会ってなかったなぁ……
当然、それにツッコんでたのはオレなんだけどね
どーも伝わりが悪かったらしく、イヤミ程度にしか思われてなかったみたい
実際、逆ギレもされたし
作品に対する姿勢の違いというか、そこが露骨に表れた事件があって、それからスッパリいった
ただ、気を抜くと追ってくるストーカーがいたんで(実際、今でも旧メルアドにメールが来る)
名前変更となったけど


っと、そんな話は別にいいんだ


とにかく、作り手は自分の作品に、ある程度でいいから「責任」みたいなものがあると思う
そんなかっちかちに凝り固まるほど力を入れるものとも思わないけど、
でも、受け手に対して、評価してもらうだけの「価値」を付加するのは当然なのかもしれない
それは、全体的な構成だけとは思わない
最近、ぷ〜るさんが気にしている「見やすさ」の問題だったり、なぎこさんの言う「細かい配慮」だったり、
もっと基本的な、誤字脱字の撲滅だったり
人間万能じゃないから、間違えることは当然ある
オレだって誤字脱字の常習犯だし、ブログの見やすさはどっちかって言うと良くないほうだし、
今日の記事だって「細かい配慮」が抜けてるところだってある
だけど、それを減らそうと思う努力は必要だと思うわけ
それが、「責任」ってことばで表すところなんだと思う




同時に、受け手にだって似たような「責任」はあると思う


オレの小説だと、登場人物の台詞の前に人物の名前みたいな表記は一切しておりません
状況描写を見れば大体わかるように組み立ててあるので、必要ないと思ってのこと
それに、レイアウトが崩れて逆に読み辛くなる危険性もあるしと思っての判断


意外に伝わってない……


実際に言われた、「名前の表記がなくて読みづらい」って
ただ、他の人が「状況描写を読んでると十分わかる」とフォローしてくれたのでよかったのですが……


「名前の表記」がある小説を見てみると、正直、状況描写がものすごく疎かになってることが多々あるんですよね
「名前の表記」があるお陰である程度は状況を追えるのですが、
場面の変更や情景が見えづらく、どうしても奥の方まで入っていくのが難しいんですよね……
そうさせない手法と割り切ろうと思っても、「名前の表記」のせいで状況だけは無理やりの固定ですからね
置いてけぼり感がすさまじい……
他に、「」付きの台詞が状況説明を長々としてるタイプもよく見られました
…………いや、言わずもがな……誰がそんな長台詞の独り言を言うんだと……


とまぁ、こうやって色々考えた結果の判断なのですが、それが伝わらず
理由は大体予想つきます
「名前の表記」のある小説の傾向を見るとわかるように、
読む方も状況描写の存在を疎かにしているからなのでしょう
つまりは台詞以外を読み飛ばししてると


失礼だと思わないんでしょうね


いや、単純にわかりやすさでいえば「名前の表記」をした方がいいですし、
その手法の方が生きてくる文体だってたくさんあります
そういうつもりで「名前の表記」をするひともいますし、その手法を薦めてくる人もいます
また、状況描写が稚拙な作品だと、正直どう進んでるのかがわからなくもなる
そんな時に「名前の表記」があれば、流れを理解しやすくもなります
実際、児童書などのわかりやすさを優先した文章では「名前の表記」は必須です
なので、別に「名前の表記」をする文体を否定してるわけではないのです


ただ、作り手側の判断や書き方を無視し、自分の都合のために批判するという……
そういう受け手の態度はどうかと思うんですよ、つまり


受け手の感想だって立派な「評価」です
「批評家」になれというつもりもないですけど、
相手に対してできるかぎり正当な「評価」をしようくらいは思って欲しいものです
ケアレスミスを大目に見たり、誤字脱字やバグみたいなものは報告してあげる
よかった点は素直にほめる
気になるところがあるのなら、何が気になったかを具体的に伝える
それだって作り手の人にとっては嬉しいことなのです
正しい受け手の態度というのは、そういうことじゃないのでしょうか?








誰だって、独りよがりの勘違いの産物に興味なんて持ちません
誰だって、ただただ気に入らないと叫んでるだけの人に関わりたくはありません


だからといって、勘違いの産物に光る物は本当に皆無なのか
だからといって、気に入らない点は本当に虚構なのか


モノづくりはそういう関係が必要だと思うんだ
だから、作り手にも受け手にも、作品に対して真摯であるべきだと思う






言ってるオレが出来てるかどうかは疑問だけどね